秋田県大館市の文化遺産

歴史を紐解く

秋田犬

秋田犬(あきたいぬ)

秋田犬の祖先犬は、マタギ犬(山岳狩猟犬)で、中型か中型よりやや大きい程度の熊猟犬でありました。藩政時代、佐竹西家(小場家)は、闘犬によって武士の魂を養ったと伝えられ、闘犬は大館を中心に発達したことから、大館犬と呼ばれていました。

闘犬は明治、大正時代に最も盛んになりましたが、しばしば闘犬禁止令が出され、一時闘犬が行われなくなりました。その後、明治42 年(1909)頃から再び盛んとなり、より強い犬を求め土佐犬との交配が積極的に進められるなど、秋田犬の純粋性が危ぶまれるようになりました。

秋田犬は国犬として保存すべきであるという声が高まり、昭和2年(1927)に大館町の有志により秋田犬の純粋種保存の基盤づくりが行われ、昭和6年(1931)7月に日本犬としては、最初の天然記念物として国の指定を受けました。

この1年後、帰らぬ主人・上野英三郎(東京帝国大学教授)を渋谷駅で待ち続ける秋田犬忠犬ハチ公の記事が朝日新聞に掲載され、注目を集めました。

2年後には、渋谷駅のハチ公像が除幕され、ハチ公は翌昭和10 年(1935)3月8日、11 歳4か月で死亡しましたが、主人に忠実な秋田犬は、忠犬ハチ公の名とともに、ますます世に知られることになったのです。

秋田犬保存会

この昭和9年(1934)頃から、秋田犬保存会は犬籍登録を実施、昭和13 年(1938)には「秋田犬標準」も制定され、展覧会も開催されるようになりましたが、これは太平洋戦争の勃発によって、一時中断されることになりました。

戦後はいちはやく復活、昭和22 年(1947)からは展覧会を開催し、昭和24 年(1949)からは会報「秋田犬」が発行されるようになり、昭和28 年(1953)5月からは社団法人組織に移行、運営されています。

昭和24 年(1949)、25 年(1950)頃からは全国各地に支部、総支部の設立がはじまって、現在では、東北北海道、関東、東海北陸、関西、中国四国、九州に総支部が置かれ、その管下には50 余の支部があり、海外には、米国・ロサンゼルス支部と台湾支部があります。そうして春秋2回の本部展・総支部展は勿論、各支部は年間1~2回の展覧会を開催し、それ以外に観賞会や研究会を随時催しています。

なお、本会は昭和52 年度(1977)が創立50 周年に当り、それを記念して秋田犬会館が建設されました。1階は本部事務室、2階が会議室で3階が秋田犬博物室になっており、我が国犬種団体唯一の博物室として高く評価されています。

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