狩野亨吉
狩野亨吉 / 慶応元年(1865)~昭和17 年(1942) / 教育・人文科学
帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、金沢の第四高等中学校で教授を務めます。その後、熊本の第五高等学校を経て、34 歳の若さで第一高等学校の校長になります。
明治39 年(1906)に初代の京都帝国大学(現在の京都大学)文科大学長になり、内藤湖南や幸田露伴ら民間の優秀な人材を招き、大学の発展に尽くしました。
明治32 年(1899)に安藤昌益の『自然真営道』の写本を発見し、ひそかに研究を続けた。明治41 年(1908)に『内外教育評論』に「大思想家あり」を発表し、安藤昌益を世に紹介した。昭和3年(1928)には岩波講座『世界思潮』に「安藤昌益」を発表し、その思想を詳しく紹介しました。
夏目漱石と親しく、代表作『我輩は猫である』の猫の飼い主の苦沙弥(くしゃみ)先生のモデルともいわれる。東北大学図書館には亨吉の収集した蔵書「狩野文庫」があります。
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