秋田県大館市の文化遺産

歴史を紐解く

大館曲げわっぱ

大館曲げわっぱ(伝統文化)

起源

秋田音頭にも歌われている「大館曲げわっぱ」は、昭和55 年(1980)に全国各地にある曲物の中で唯一、通商産業大臣(現経済産業大臣)が伝統的工芸品に指定した大館の特産品です。

もともとは、木こりが杉柾(すぎまさ)で曲物の容器を作ったのが始まりで、藩政時代には大館城主佐竹西家が、領内の豊富な天然杉に着目し、下級武士たちの内職として奨励し普及発展したと伝えられています。

1100 年前の曲げわっぱ

平成11 年(1999)8月に発見された埋没家屋からは、完全な形の曲物(口径13 ㎝、高さ9㎝、底径13 ㎝)が出土している。これは延喜15 年(915)7月に噴火したとされる十和田火山の噴出物が堆積たいせきしたシラス層の下から出土したことから、10 世紀初頭のものと考えられています。

これが「大館曲げわっぱ」のルーツであると断定することはできませんが、少なくとも1100 年以上前から、この地方には完成度の高い曲物が存在していたという証です。

※10 世紀初頭の遺跡(餌釣、館、山王台遺跡)に比べて、10 世紀中頃以降の遺跡(大館野の遺跡、扇田道下遺跡)からの遺物では、杯(椀)、皿類の土器が著しく減少する傾向がみられていることから、この頃には多くの木器が使われていたのではないかと考えられています。

生活道具から美術工芸品に

薄い板を曲げて底をつけ、桜や樺などで縫いとめて作る「曲物」は、全国各地で作られ、昭和30 年(1955)頃には、生活道具の大半は木製でありましたが、その後、金属、ガラス、プラスチックに代わり、大館曲げわっぱもまた試練の時期を迎えました。

その後、時代は本物志向の風潮が高まり、新しいデザインを取り入れた多くの製品が生み出され、今では職人たちの技術向上と創意工夫で美術工芸品としての価値を高めています。

大館に根付いた文化としてつなげる取り組み

かつて大館曲げわっぱには、樹齢300 年を超える天然秋田杉が使われていましたが、今では天然秋田杉自体がほとんど手に入らなくなっています。そのため、将来に向けて大館曲げわっぱに使える良質の植林秋田杉を育てようと、林業関係者とのコラボレーションで「曲げわっぱの森」の活動が広がっています。天然秋田杉に代わる人工杉の選別法確立に向けては、市と米代東部森林管理署、秋田県立大学木材高度加工研究所、大館曲げわっぱ協同組合の4者が適材木選別調査に係る協定を締結しています。

また、地元の子供たちに「大館曲げわっぱ」の良さを伝える取り組みとして、子供たち自身で曲げわっぱの食器を作り、給食で使用するという取り組みも広がっています。

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大館の伝統文化