秋田県大館市の文化遺産

歴史を紐解く

大文字焼き

鳳凰山(標高520.6m)は、大館市中心部の東側に位置し、市民の暮らしが息づく大館盆地を見守っています。麓には岩神ふれあいの森、岩神貯水池があり、岩神沢の上流部に位置する鳳凰山と秋葉山の鞍部には、沼窪神社が建立されており、鳳凰山を背景に伝統行事や市民の活動が続いています。

鳳凰山を舞台とした人々の活動

鳳凰山の歴史

鳳凰山の山頂には、大正5年(1916)9月に建立された石碑があり、薬師大神と刻まれています。古くから地域の人々の健康を祈念する信仰碑です。この石碑には、建立者館林信三他、世話人田中徳右衛門の名が刻まれています。

大館地方で、「鳳凰山」の名称が使われた最も古い記録は、「玉林寺」の山号「鳳凰山玉林寺」です。鳳凰山の名称の由来は2説あり、浅利氏がこの地方を治めていた時代に、浅利氏の祖である甲斐の国の「甲斐鳳凰山」とのかかわりで、当時から鳳凰山と呼ばれていたという説と、この山の麓に「鳳凰山玉林寺」を建立したので、以後鳳凰山と呼ぶようになったという説です。

鳳凰山に見る市民の活動

凰山を背景とした花火大会は、昭和27年(1952)に大館商工会議所主催で開催したのが始まりであり、長木川の下町橋上流で、1,800 発の花火が打ち上げられました。

その後も、毎年開催してきた花火大会は、昭和43 年(1968)から大文字送り火(大文字焼き)に合わせて開催されるようになり、昭和48 年(1973)には小学生のスクールバンドによる演奏や、大文字踊りが加わり、その後燈籠流しや郷土芸能も披露されるようになりました。

鳳凰山の大文字送り火(大文字焼き)は、物故者の慰霊と市民の無事息災を願う行事として昭和42 年(1967)から調査や準備が行われ、昭和43 年(1968)の夏に始まり、現在まで毎年開催されています。

点火作業は、麓の茂内地区住民が中心となって行ってきたが、近年はボランティアの市民が広く参加するようになり、当日は100名以上の市民が鳳凰山に登っています。

本市の「大」の字の大きさは、1画目の「一」の長さが120m、2画目の「ノ」の長さが180m、3画目の「ヽ」の長さが150mの合計450mであり、日本一の大きさを誇っています。

また大の字の形を整えるため、毎年熱心に手入れを施してきた市民や関係者は、大館の大文字の美しさは日本一と自負しており、後世へ継承する思いを共有しています。

「大館山岳会」主催の元旦登山は、会員が昭和38 年(1963)に登山したのが始まりで、昭和48 年(1973)からは本格的に大館山岳会の主催事業として続いている。毎年約100名の登山者がご来光を拝んで、自身や家族の健康を祈願し、互いの飛躍を誓い合ってきました。

また、市民は古くから「鳳凰の峰を登る秋の月」など、俳句や短歌で鳳凰山や岩神を数多く詠んでいます。さらに18 世紀後半に宗福寺20 世住職光岳泰謙の選といわれる「大館八景」や明治時代の文人が選んだ「館城新八景」、そして「平成の大館八景」には、「岩神秋月」や「岩神紅葉」、「鳳凰山の大文字」が紹介されています。小学校や中学校、高校の校歌や市民歌にも鳳凰山が歌われ、この山を愛する市民の想いが鳳凰山周辺で育まれてきました。